悲しみの感情、自分を許す事

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この前、「怒りは悲しみより良い」
について話をしたのですが、
本当にそうでしょうか。

自分で書いといてひどい話です。
やはり良いも悪いも本来は無いと思うのですが、
短期的には怒りの方が良いのだと思います。


反面、性格的な物で大きく変わるのでしょうが、
私のように「合っていない」場合、
怒りを長期的に続けるのは体に負担が大きく感じます。

私がわざわざ言わなくとも、自律神経の問題など、
健康に影響があるのは周知かと思います。
今日は先日否定した悲しい感情についてです。



私たちは生命の中でも飛びぬけて感情の強い生き物です。
スピリチュアルな言い回しをすると、
この感情を味わいたくて生まれています。
もちろん様々な個性がありますから、
全員がそうだとは言いません。

楽しみたいから楽しい事をするように、
悲しみも悲しみたいから悲しんでいる場合が多いのです。

当然と言えば当然ですが、
悲しみの感情も私たちには意味があったり、
必要な時もあります。

ただ、完全に認識していては興ざめですから、
表面上はそうではなく、深層や、無意識で思っていたりします。
自分の感情や意識に注意を向けていれば発見できます。


例えば長年会社で苦しい思いをした私なのですが、
これも深層では望んでそうしています。

ちょっと振り返ってみますと、
私は若い頃から会社員に向いていない認識があり、
かっこよく言えばフリーランスで働いていました。
通常の時給制のパートと、完全歩合制の仕事です。
どちらもインストラクターでした。


時間には少し自由があり、悩みがありながらもそれなりにやっていたのですが、
子供の時から何か、苦労が足りないのではないかと思っていました。


軽い骨折をした事をきっかけにインストラクター業を辞め(ほんの一部続けましたが)
全く関係のない、一般的にしんどいと認識されている業種の職人になろうと就職しました。

そこで望み通り肉体的なしんどさと、理不尽さを体験していくのですが、
もちろん渦中にいるときにそこまでの認識はありません。
いえ、望んでいた認識はあるのですが、動けない感じでしょうか。


足りないと感じて、苦労を望んでしているのです。
簡単に言ってしまえば私の場合は苦しい思いをしてそれを乗り越えたり、
バネにしたりして成長していく。
そんなストーリーを無意識で持っていたのです。
言葉にしてしまうと中二病的な感じがするのですが(;^_^A

そんな中二病的な無意識でも、劣等感やトラウマの結果で、本人にとっては大変なことです。
反対に、どんな大変な状況でも本人以外にとっては大きな事に感じない場合もあります。


人によっては苦しい思いをしてそのまま潰れていく、
自己破壊的な美学を持っている場合もありえるでしょう。
そういった気持ちも理解できます。

例えば、色々なお酒を飲む方でしたら、
その時の気持ちによって飲みたいお酒が変わりませんか?
私は飲めば大抵楽しくなってしまうのですが、
ブランデーやウイスキーなどはどっちかというと
静かに飲みたい時や、苦しい時です。
その時は苦しい状況を味わっているとも言えます。

私には無い要素ですが、
お酒を飲んで泣くことでストレスが発散される場合もあります。
決して悪い事ではありません。


苦しい、悲しい経験をしたい個性であれば、それも自由で、良いも悪いもありません。

ただ、もう満足して他の経験をしたいのに
そこから出ることが難しくなっている事があるはずです。
そんな時、自身の思考が現実を生んでいる事や、
今の現状も望んだ結果であること等を知っておくと、
現実を変えやすくなります。


そして苦しい体験を望んでしていると分かった場合は、
自分を許してあげてください
何らかの事情で、自分で自分に課した経験だったりします。

その理由が分からないまま、思考に癖がついて
「こういうもの」と出られなくなっているかも知れません。

例えば「もういやだ」と思った時、
恐らく経験に満足しているんです。

もういいんだ」と許してください。

この場合「許す」のは
何か「罪」等ではありません。
自分が違う行動を取る事を許すという意味です。


次の経験を楽しみに行ってください。





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