今更ですが、猫が好きです。
自由で、一見身勝手(実際は別として)に見える所もとてもいいです。
以前は自分に「でかい猫であれ」と思っていました。
ねこへい工房のコブです。
この前書きましたが、
どうにか上手くやろうと、ごまかそうとしました。
しかし、
「人間は本来もっと自由なはずだ」
という怒りにも似た思いが、どうしても消せませんでした。
否定するほど強く押し返します。
色んな不満がたまっていく。
原因の元を突き詰めると「自由」じゃないだけ。
少し理不尽なだけ。
例えば会社での事も、我慢できない事じゃない。
会社の仕事量が多い?
効率化を突き詰めて暇になってやればいい。
パワハラ?
技術を上げて、黙らせればいい。
人間関係?
確かに。
効率化、技術を追求する過程で人間性を置き去りにしたため、
人間関係に問題が出ました。
そこで心理学、コーチングを学んで解決方法を探しました。
ここは新たなジャンルでちょっと楽しかったですね。
問題を解決できないわけじゃない。
クリアして行くのもやりがいは感じます。
でも何か許せない。
自分が、周りの同僚が色んなものから「自由」じゃないだけの事がです。
今言葉にすればですが。
とにかくこのままこれでいいのか?
と悩んでしまう。
一方で、会社にいることが気に入らない、
我慢できない自分を認められませんでした。
「みんなやってること」
「普通はこう」
こういうことを考えるとまた苦痛に感じます。
子供の頃から家に「死」についての本が身近にありました。
亡くなった母が難病だったためです。
たしか当時の医療では、50歳までは生きられないと言われていました。
でも、70歳以上まで生きましたので、母の努力と医療関係者の方々に感謝です。
私にも遺伝する可能性があったので、
「死」について私もよく考えていました。
子供の頃はミッション系の幼稚園で、
その後も「そちら」にしばらく繋がりが少しありました。
父方は無宗教ですが、
母方の田舎は真言宗です。
しかし「宗教」は信じていません。
「教え」がどうこう以前に、
単純に「宗教」の形態をとっていると、
色んな「利害」が絡みすぎているからです。
ざっくりとこう思います。
私たちは経験をするために生まれてきた。
わざわざ人に生まれてきたのは、人として各々が違う体験をするため。
様々な「個性」の各々が違う体験をする事。
自由意思でそれぞれの体験をしていく事が私にとって重要です。
私にとって「自由」とは人間の生まれた意味に大きく関わり、
我慢するべきものではない。
こうした事は、色々見聞きした結果の私の「価値観」であって、
「これが正しい」と言いたいのではありません。
私が信じているだけ、何を信じるかも「自由」。
この価値観をちゃんと受け入れるのに時間がかかりました。
会社員をする前は自然な事だったのですが、
この価値観だと会社では苦しくなってしまうためです。
受け入れてしまうと会社を出ないといけない。
わかっているから何とかごまかそうとする。
もう戻れないんじゃないかという不安でいっぱいでした。
いや、戻れなくなることを確信していました。
会社では苦しさの理由を話せないので、
要らぬ迷惑もかけたことでしょう。
自分の価値観を認めることでずっと楽になりました。
このことが「自分を許す」ということにも大きく関係があると思えます。
皆さんには認め難い「価値観」はありますか?
↓結構前に作ったもの「チタンフランスピン」
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