この世はクソゲー。「1」

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先日、「今、若い子は夜どこで遊んでいるの?」
という話を振られ、「オンラインゲームでもしてるんじゃないかな?」
と答えました。
正直ネットゲームは面白いです。
ねこへい工房のコブです。

子供の頃、「さんまの名探偵」というファミコンゲームをしたことがあるのですが、
このゲームの中でミニゲームが出来ます。
インベーダーゲームだったと思います。
つい何度もこの「ゲーム内ゲーム」をした記憶があるのですが、
その理由を今にして考えると、
本編が面白くないせいですw

この世界は自由度が低すぎる?

ところで、
「自由なデカい猫であれ」とは、
ねこへい工房の標題の様なものですが、
現代では色々な事情で難しくなっています。
完全な自由が難しいという事の一番多い理由は、
お金を稼がないといけなかったりするからです。
根本的な理由は別にあるとは思うのですが。

まず税金とか高すぎです。
主な理由としては、言うまでもないですが、
公務員は多過ぎで、天下りも多過ぎですよね。
このために驚くほど不要な「仕事」が作られています。

まあ、そういった世の不満は各々調べていただいて、
必要であればどこかで発散してください。

今回言いたいのはそこではなく
乱暴な言い方をすれば、
お金を稼ぐためにほとんどの時間を使わざるを得ず、
自由にできる時間の少なすぎる絶望的な社会の仕組みがあり、
もはや一般庶民を苦しめる事が目的と考えた方がしっくりくる、
そんな環境の問題です。

この世界は、多くの若者にとってはクソゲーです・・・。
そりゃオンラインゲームの方が楽しいでしょう。

本編がつまらないから、自由度の高いゲームが楽しく感じますよね。
僕も若い頃ゲーム三昧の日々を送っていました。
何なら普通の人以上に。

僕の場合はおっさんになってからは
ほとんどやらなくなったものの、
当時ネットゲームはまだ少なく、オフラインのゲームに「飽きた」だけで、
オンラインゲームが多ければ続けていた可能性もあります。

おっさんになっても特に楽しい世界になっていなかったからです。
当時会社の同僚と話してみると、
やはり大半はこの世界を楽しくないと思っているようでした。

そんな未来が予想されると、
若者が希望を失うのは当然です。

当のおっさんたちはもっと絶望的です。
若者の持っている可能性すら無いからです。

自由度は上げられる

可能性が無いと思っているのは本人
(多くの場合周りもそう思っているので手に負えません)であり、
実際には無限の可能性があるのですが、
そう思わされているという事です。

実際にはこの世界は非常に自由度が高く、
ほとんどの事が思い通りになります。
こう言うと大抵のおっさんは
「は?」
と思うでしょう。

「そのとおり!」と
賛同する人の多くは、若い頃に成功したか、
現在若い人かもしれません。

生まれた家が非常にお金持ちだったりすれば
ずっと「イージーモード」かも知れません。
そういう人はひと握りだとは思いますが、
本当はおっさんになってからでも、全然自由に生きれます。
出来ないと思わされているだけです。

もちろん、各々やりたいことが違うので、自由の内容も違いますが。


例えば私の欲しかった自由は、
・寝たい時に寝て、起きたい時に起きる。
・したい仕事を、したい時にする。
・好きなバイクにたくさん乗る
等などですが、
「沢山のスーパーカーに乗りたい」はありません。
まあ、いつかは乗りたいかな位です。

こういう自分にとって自由な生き方を実際にすることで、
「出来るよ」と言いたい、証明したいという気持ちもあります。

現状で8割ほど出来ている感じでしょうか。
すると次はもっとこうなりたいという事も出てきますので、
ひょっとしたらずっと8割位なのかもしれません(;^_^A

難しいのは、「したい事」すら、本当のあなたがしたいことではなく、
周りの価値観に影響されて「したい」と思わされている可能性がある事です。

それも含めて、「思い込み」から逃げられれば、
このゲームの自由度は急に上がります。

なんかハードモードになってる

私たちの自由度を下げるために、沢山のバイアスがあります。
・勉強をしなくては
・就職しなくては
・貯金をしなくては
・保険に入らなくては
・結婚しなくては
などなど

私の場合は比較的低所得、年齢も相当なおっさんになってから会社を辞め、
当時ほんのお小遣い程度だった副業を本業としました。
当然、周りのほとんど全員が独立を止めました。


しかし、実は本来、必要な物は手に入るようになっています。
私は本心から、「私たちは本来自由なはずだし、それを証明したい」
と思っていただけです。
凄い努力をしたわけではありません。
むしろ、会社員をしていた時の方が、
報われないのに人の何倍も働いていました。

時々こうした「思い通りに生きられる」という事を書いていますが、
出来ないように色々なバイアスがかかっているので、
実際にはほとんどの人が試行錯誤が必要です。

物心がつく頃には、このバイアスのせいで
大半の人が「ハードモード」になっているのです。

そもそもはヌルゲー

私たちの生まれた世界は本来、
現代人の多くの人にとっては恐らく「ぬるゲー」です。
元々望んだことはほとんど実現可能な世界です。

このぬるいゲームの「ゲーム要素」はどこかというと、
3次元世界では少し、実現に時間がかかること。
「家が欲しい」と望んでも魔法のようには現れず、
建てる工程があります。
ある意味、この工程を楽しむ程度のゲームです。

どうでしょう、楽しめていますか?
どうあれ、この世界を楽しめていれば問題ありません。
楽しめない状況の場合が問題です。
ログアウトすると、もう入れないからです。
いや、それは「キャラデリ」するとですね。
ログアウトは毎晩しています。

「モード」をハードからイージーに変更しましょう

ハードモードになっている理由を乱暴に言うと
「無理かも」と、
どこかで思っているとそれも実現する、
という事です。

なので、イージーに変える方法を一言で言うと
やりたいことに対して「無理」と思わない事。

もちろん、「そんなこと言っても」と思うのも当然です。
イージーモードにならないようなバイアスが沢山ありますから。

今回は触れませんが
「イージーモード」に変えるのに、
参考になる方法は色々あると思います。
・ビジネス系の情報
・自己啓発
・スピリチュアル
などなど。
きっと他にも沢山あるでしょう。

ここで注意してほしい事があります。
それは、「科学」も「宗教」も利権によって成立してるという事です。
何もすべてが嘘とも言いませんし、信じるのはそれこそ自由なのですが、
多くの方が思うように、当然いずれも完全な真実ではありません。
物事の基準は「自分」である必要があります。
もっと言えば「自分の感覚」という事です。

依存があると難しい

このゲームの主人公は「自分」だからです。
判断基準を他に持ってしまうと、
本来の「イージーモード」までには戻せないかも知れません。
ある程度までは戻せると信じていますが・・・。

今日話している「イージーモード」は
「自由」という事でもあります。
依存があると制約が生まれ、真の意味で「自由」ではいられません。
これは現代では難しいことかもしれません。

「科学」や「宗教」といった
一見分かりやすいものに判断基準を置いていないとしても、
お金の関わる利権、権力欲からくる征服や強制が
現代では息を吸うように行われるからです。
これらは他者を依存させることで起きますから、
多くの人が無自覚に依存して生きています。

家父長制や、学校というシステムもそうですから、
物心がついた時にはある程度依存が起きています。

例えば、会社をクビになっても大丈夫でしょうか?
学校を辞めても大丈夫でしょうか?
少なくとも昔、私が子供の頃は
学校を辞める選択肢はありませんでした。

もちろん他者と「協力」はするでしょうし、
完全に「依存」を取り去る事は難しいかもしれません。
ですので目安に過ぎませんが、
例えば
「今の会社を辞めても自分は大丈夫」
と思えるでしょうか。

例えば転職すればいい等で、
「大丈夫」
と思えるのでしたら
「依存」
ではないかもしれません。
独立が必要かどうかは私にはわかりません。
私に必要だっただけです。

私に必要だった理由はたくさんありますが、
まず、決められた時間を拘束されることが、
長年続く時点で悪影響が大きすぎます。
これだけで「ハードモード」になってしまいます。

「イージーモード」への行動はシンプル

内面の話は今日はしませんが、
行動としては会社を辞めて
個人で生きていくと決め直してから、
日々「イージーモード」になっていく実感があります。
まだまだお金は少ないですが、
それは小さな問題です。

本来は自由に、思い通りに生きられます。
この世界は本当は「クソゲー」ではありません。
私たちが、少し難易度の高いゲームが好きで、
それをプレイしに生まれただけです。

オンラインゲームをしていると、
人生というゲームの中でするマトリョーシカの様な
「ゲーム内ゲーム」に感じます。
もちろんたまにはいいと思うのですが、
もっともっと人生本編が楽しめればと思います。

↓以前の作ったもの。「チタンの髪留め(ヘアゴム)」


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